東京電力の旧経営陣に13兆円余りの賠償を命じた一審から一転、6日に言い渡された高裁判決は旧経営陣の責任を認めなかった。福島第一原発事故から14年が過ぎるが、全国各地の避難者は2万4千人を超える。主文が言い渡された瞬間、法廷では原告側から「えっ?」という驚きの声が漏れ、その後、怒号に変わった。
- 何もしなかった判断を容認した東電判決 これで原発の安全が守れるか
「次の原発事故を招く判決だ」
株主側の弁護団長、河合弘之弁護士は判決後、裁判所の門前で憤った。
国は原発事故の約9年前、大津波を伴う巨大地震が起きる可能性があるとの地震予測「長期評価」を公表していた。
だが、高裁は、東電の旧経営陣が当時、長期評価について社内外から強い警告を受けなかったなどとして、「切迫感を抱かなかったのはやむを得なかった」と判断。取締役として津波対策を講じなかった責任を認めなかった。
河合弁護士は「具体的な危険がなければ対策しなくていいなど誤りだ。地震や津波が切迫感をもって予測されたことがあったのか」と批判した。
判決の言い渡しは30分足らず。「認められません」「ばかにしないでください」。退室した裁判長の席に向かい、怒りをあらわにする傍聴者もいた。
42人の原告の多くは、脱原発のために東電株を買った人たちだ。事故の被災者もいる。
「私たちの避難、誰に責任が」
浅田正文さん(83)は事故まで、原発から25キロ離れた福島県田村市都路地区で、肥料も使わない「自然農」でコメや野菜を育てていた。地区の約3千人に避難指示が出ると、金沢市に避難。いまは同市内の老人施設で暮らす。
6日は東京高裁を訪れ、判決後、「旧経営陣に責任がないのなら、私たちが避難しているのは、誰によるものなのか」とショックを隠せなかった。
昨年1月には能登半島地震に見舞われた。
自宅の約50キロ北には、北陸電力志賀原発(石川県志賀町)がある。同町では震度7が観測された。事故を恐れ、浅田さんは福島で使った線量計のスイッチを入れた。
重大な事故は起きなかったが、後に原発周辺を見て回ると、道路が寸断されていた。「事故が起きていたら、被曝(ひばく)する人が出るのは避けられなかった」と振り返る。
だからこそ、今回の判決に脱原発への期待をかけていた。「いつ地震がくるか分からない国で原発と共存できない。裁判所にそれを判断してほしかった」
「国は再び安全神話、裁判官まで忖度」
原告団を束ねる代表の木村結…